3.民活から始まった医療保障制度
ブルークロスの原型は大恐慌に突入した1929年、テキサス州ダラスにあるベイラー大学の教職員たちの手によって始められた。一日あたり3セントの掛け金をしておくと、病気やケガなどで入院しても無料で医療のサービスが受けられるものだった。だが、この共済制度は病院に限られたもので、医師が提供するサービスは含まれない。そこで2年後の1931年には、医師のサービスに対する掛け金制度であるブルーシールドが考え出された。
本格的なブルーシールドの組織化が始まったのは1939年のことで、現在の基礎を作ったのは先進的なカルフォルニア州の医師会だった。病院経営者によって組織されるAMA(アメリカ病院協会)は、ブルークロスに真っ向から反対していたが、経営危機に陥っていた病院経営を救済する意味から、1934年にブルークロスの全米ネットワーク化を承認した。それほどウォール街から始まった世界大恐慌は、多くの医療機関までを巻き込んだのである。
HMOの原型を始めたのはオクラホマ州の農業団体で、その形態は医療協同組合方式によるものだった。オクラホマ州の産業はトウモロコシや牧畜で、隣の家へ行くにも馬車で一時間を要する広大な土地。そんな場所では医者も少なく、家族がケガや病気などで困ったとき、いつでも安心して掛かれる医療施設を作らざるを得なかった。そこで農業団体では組合員から集めたお金で小さな病院を建て、遠方から専門医を呼んできた。医者には一定の給料を補償するかわりに、組合員の健康管理に努めて貰うことから始まった。
同じころ、カルフォルニア州ロサンゼルス市では、カナダ人の医師・ロスとルースの二人が「ロス&ルース医療グループ」を設立し、ロサンゼルス水道電力労働者組合に前払い方式の医療サービスを売り出した。このシステムがHMOの始まりである。第二次世界大戦真っ盛りの1942年には、オークランドに本部を持つカイザーが「保険プラン」を開始し、いまでは全米最大の会員制医療組織に成長している。
保険会社が提供する営利医療保険は、わが国の自動車任意保険を考えれば理解し易いことで、今日1、250からある保険会社から、さまざまな医療保険が売り出されている。もちろん民間保険会社が作った商品だけに安いものから高いものまであって、安い保険では医療サービスの内容に制約がつきまとう。この営利医療保険はブルークロスが始まった翌年の1930年には、すでに商品化され売り出されている。これら民間による医療保険制度は、1930年から1940年代にかけて大きく成長を遂げるところとなる。