14.カーターからレーガンの時代へ
カーターは大統領就任にあたって税財政改革を積極的に行うことを約束した。政策を押し進めるため、国民に対して「納税者意識を高揚させ、減税と税の効率的運用」を要求した。なかでも医療費抑制については5項目の改革を実行した。
@連邦政府と州政府が共同運営するメディケアとメディケイドの連邦政府負担を大幅に削減。メディケアについてはサービスの範囲を制限し、メディケイドは政府予算の上限を設定し、それ以上の出費を抑えた。残りは州政府と医療機関がやりくりしなければならならなくなった。
A会員から集めた一定の金額で医療サービスを提供するHMOの育成をはかることによって、従来の出来高払いの医療との間に自由な価格競争を発生させた。これによって全体的な医療費を低減させようとするものだった。またHMO自体の費用低減も指示した。
B政府が負担する公的医療について、その内容が妥当な範囲か否かをチェックするPSRO制度を導入。これは医師や看護師で組織されるチームが患者のカルテをもとに、医療内容とその費用の適正さについて討議されるものであった。
C高額な検査費用の無駄を減らすため、HSA(Health System Agency)を設けた。CTスキャンやMRIを導入するにあたって、病院は事前にHSAに申請書を提出し、必要証明書を受けなければならない。また病床の増加もこれに準ずるとなっている。HSAを設置した大きな理由には、医療機関の計画的配置を押し進める考えがあった。
DMMIS(Medicaid Management Information System)はメディケイドの支払い抑制をねらったものである。メディケイドのもとになされた医療請求を事前にコンピューターを用いて点検するシステムがこれである。主なチェックポイントは受診者の資格、診断と治療内容、重複請求や不正請求の有無となっている。コンピューターには加入者と医療機関の一覧が入っていて、双方の濫用防止に利用されている。問題点が発見されると個別審査が行われ、これがすむまでは支払基金からの支払いはストップされる。これらカーターのとった政策は医療に競争原理を導入することによって、出費を押さえ込むことにあった。
1982年、カーターに変わって登場したレーガンは少なくともカーターの政策を受け継ぎ、それをより強化しようというものだった。ドル安に歯止めをかけ、強いアメリカを回復させるためにレーガノミクスを押し進めた。具体的には減税と規制緩和によって投資意欲を刺激し、国内生産を上げることで物価の安定をはかった。一方では軍事費を増やすことで、安全保障における戦略的な優位性の回復をねらっていた。連邦歳出のしわ寄せは社会福祉費に向けられたのは説明するまでもない。